正しい体の考え方は、症状は認め、病気は認めない

「体は治してもらうモノではなく、治るモノです、
依存して治してもらうのを期待していても何もかわりません」

我が師の著書よりの引用になりますが大切な事です。

以下

生体は回復機能が正常なうちは症状として現れ治癒力を高めています。それが本来の自然な状態においても回復困難な状態に陥ったときが本当の病気です。

その状態になる前に生体は常時、状況に応じたサインを出し、協力を求め続けています。

それが一般的な症状です。これらをすべてひっくるめて病気、障害と決めつけるのは正しくありません。多くの疾患、症状あるいは通常、口にする病気を、病気(壊れた心身)として自身が決めつけ認めてしまったとき、一方的に他者にすがり、自身の治癒力への信頼を放棄しているからです。

自ら回復力を否定された身体の治癒力がどこまで機能するか容易に判断がつくと思います。自力で回復できる本来の自然状態に戻してあげることで解消する極めて多くの症状、障害が壊れたという機械的身体観によって回復力が極端に低下してしまうことを知っていただきたく思います。

 

このようにして自己の意識が症状あるいは障害を治りにくい難治疾患にまで変えてしまい、健康になれない人々が現代社会には満ち溢れています。

 

 

私達の身体は常時、体内の全機能を調和させるべく、対外の環境に順応するための複雑な生命活動を行っています。一日生きられることでも、そこには計り知れない偉大な生命機構が働いています。更にその調和された生命活動を多くは、半世紀以上の歳月、営まなければならないのです。

 

治癒力は体への自らの信頼とそれを認めることによって100%機能します。

そのためには体が常時微調整を行っている生命現象を直視する必要があると思うのです。そして、その微調整が痛みを代表とする症状です。

 

 

私達が日ごろ、自身の体を信頼、尊重し、その体からの教えを自分の感覚で正しく聞き取ることに注意していれば、その症状を充分調整可能な段階で知ることができて、健康状態を維持することができます。そして自己の心身を知ることができます。こうして寿命を全うすることが真の健康であると考えています。

このような本来の医学の視点から考えた症状からは、体が壊れた、そしてそれが治った、あるいは治らなかったと言っている意味の病気という概念はないと考えています。

ただ一部の先天的な障害、あるいは現在の医学、医療レベルにおいて病気というべき難病、回復不能になっているところの病気は存在しています。生物はすべて完璧な状況で誕生してくるわけではないから先天的、後天的問題は一部存在するし、人の寿命の違いも存在します。

 症状には①自然環境の変化に対応するための微調整現象②本来の自然状態での回復困難な状態に陥り、生体が協力を求めている現象とがあります。

 

私達の体が健康を維持するための最大の行為が症状であり、それを正しく知って協力すべきであるのに、現実には症状、障害を見て自己の心身が壊れたと決めつけたり、または、それが心身を壊す元凶であるととらえ、医療に一方的に治しを求め、あるいは単にその症状を消すことが治すことであるとするとらえ方が従来の医療の現状です。

症状の正しい意味を知ってそれに協力すること。平たく言えば症状を受け入れることが健康回復の最大のコツです。自己の治癒力を100%認め信頼すること、それが症状を受け入れることです。100%信頼されたとき治癒力も100%働き出すのです。それは病気を受け入れることとは異なります。

 

 

症状を受け入れることが最大限治癒力を認め信頼することにつながり、病気を認めることは治癒力を否定することになります。このように医療において、患者自身の体に対する認識力が健康を大きく左右しています。

~「気の治療学」から引用~